社会が「多様性」に対して寛容にならないのは、SNSのせい!?
投稿2回目!
一日一回の投稿を目指したいところです。
さて、最近私が考える機会の多い、「多様性」について。
近々、性的マイノリティーだったり、人種の問題だったり、
様々なマイノリティーが注目を浴びるようになってきました。
最近の世の中って、ちょっとづつ、
・「人と違うこと」「多様性」に対して前よりも寛容になろう
・または、人と違う自分と向き合い、受け入れよう
という感情があらわになりつつある気がします。
そしてその発端の一つに、身近な情報源としての、
SNSの存在もあるのかな、と推測します。
でも、SNSなどを通じてマイノリティーに「興味」を持たせることができても、
SNSはその先の、「個々人の認知・行動のフェーズ」まで人を導けていないのではないでしょうか。
むしろその逆で、最終的にSNSは人々の「行動」を
「押さえつけて、均一化」
しているのではないでしょうか。
。。。と、のど飴を舐めてる時に浮かびました。(きりっ)
マイノリティーの声を上げる場所を提供しているSNSが、
逆の効果になりうることなんてあるのか?
私があり得る、と考えるその理由・・ズバリ、
「いいね」の存在
です。
「いいね」と言うのは、恐ろしい。
ある意味、「共感するよ」という、ある種の相手への「肯定」「承認」の形じゃないのかなと感じます。
facebook、instagram、twitterはじめ、様々なSNSユーザーならなんとなく共感してくれるであろう、
SNSの投稿、みんな個性無さすぎちゃうちゃう?問題。
例えば私のインスタの場合:
あるある度100%「彼氏との記念日」
あるある度 80% 「サークルの飲み会」
あるある度 70% 「ゆうこ誕生日会」
あるある度 50% 「カフェ行ってきた」(斜め上から撮ったラテアートの写真と共に)
これほども、内容が似ていると、
ちょっと怖いなと感じてきてしまうほど。
特に恋愛関係の投稿になると急に「いいね」が急増する件。不思議。
世の中でこれほどリア充爆発という単語が聞こえてくるのに。。。(?)
・・・話がだいぶ逸れましたが、
SNSって無意識に、「いいねをもらえる」投稿をしてるんじゃないかなと思うんです。
つまり、
みんなにいいねをもらえるような自己発信を、無意識的にしてしまっているんじゃないかな
と、私自身使っていて感じます。
だから、どれだけSNSなどでマイノリティーはじめ世の中の課題などを知ることができても、
それに関して個々人がそれぞれのレベルまで落とし込むことができていない気がしています。
例えば、何か自分が関心がある課題があるとしても、
それに対して「いいね」してもらえるのか
フォロワーや「友達」はどう思うのか
そうしているうちに、投稿の内容も均一化されて行ってしまうのでは、
つまり、
「私」という存在、つまり、「自己表現」が、
SNSの「いいね」の存在により制限されて均一化されているのでは!?
と感じています。
「いいね」というのは、自己の承認欲求を満たすものであり、
それゆえにSNSへの中毒性を高めるものだと感じています。
だけど、そのSNSの罠ゆえに、
個々人の思考や表現の幅を狭められてる気がしてならないなあ・・・
人々に興味を持ってもらえて、
かつその個々人のこれからの行動まで誘発できるSNSの形って、ありそうでないものだなあ・・・
マイノリティーの存在を世の中に知らしめているSNSが、
最終的に逆に様々な「マイノリティー」の存在を押さえつけてるのなら、悲しいなあ・・・・
そうなんとなく感じているブラックコーヒーの朝です。